最新 日本古代史-その2- 5世紀〜 |
日本史,古代史,スサノウ,卑弥呼,神武天皇,天武天皇,持統天皇 |
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日本古代史は次の2つの勢力の争いだ!
*<説あり>「蘇我氏は百済出身」 |
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5世紀〜 |
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倭の五王
わのごおう |
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5世紀前半、秦氏(新羅から)・東漢史(加耶から)・蘇我氏が渡来 |
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5世紀後半、雄略天皇が葛城氏を滅ぼす。 葛城氏…出雲系、蘇我氏の元 |
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25代武烈天皇が平群氏を滅ぼす。 平群氏(へぐりし)…蘇我系 |
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一応全部読んだぞ 「興亡古代史」小林惠子・文藝春秋 記紀に出てくる有名人物は、すべて外国人だ! 素人の素朴な疑問として、
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古代日本の歴史上人物 |
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小林説 |
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卑弥呼 |
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江南の巫術者・許氏 |
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神武天皇 |
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倭の五王 |
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応神天皇 |
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五胡十六国の中の秦の一族・苻洛 |
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仁徳天皇 |
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高句麗の英主・広開土王(好太王) |
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秦氏 |
5世紀前半 第15代応神天皇の時に新羅から移住した。
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蘇我氏 |
畝傍山西の蘇我川流域の蘇我に移り住み、その後、飛鳥へ進出。葛城氏の元。 |
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継体天皇 |
507年、第26代天皇。越前出身、大和に入るまで20年かかった。環日本海系。以後7世紀半ばの第37代天皇まで、約150年間は継体天皇の子孫が天皇。それをうち破ったのが九州系の天智天皇だ。 |
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蘇我入鹿 |
[説あり]-「入鹿=高向王(斉明天皇の最初の夫)」 |
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聖徳太子 |
蘇我系。タシリヒコ?百済法王? |
中央アジアの遊牧民・西突厥の達頭可汗 |
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大化改新 |
孝徳天皇のもとで、中大兄皇子が皇太子となり、左大臣(総理大臣)に阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)、右大臣に蘇我倉山田石川麻呂、内臣に中臣鎌足がなった。 |
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天智天皇 |
第38代天皇。天智の「智」は、中国の殷(いん)の紂王が死ぬときに身につけていた宝石の名前で、次の「武王」に滅ぼされることを暗示している。 |
百済王子・翹岐 |
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天武天皇 |
第40代天皇。天武の「武」は、殷(いん)の紂王を滅ぼした周の武王の「武」からきている。 |
高句麗将・蓋蘇文。父は高向玄理。 |
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役行者 |
葛城山で修行し、修験道(しゅげんどう)を開く。壬申の乱の直前、後の天武天皇を助けた。持統天皇の時に、伊豆へ流された。行基(ぎょうき)や道鏡(どうきょう)も葛城山で修行した。 |
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持統天皇 |
天武の妻。天智の娘。天武系(環日本海系)ではなく、天智系(九州系)として生きたようだ。 |
天武の子・高市皇子 |
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藤原鎌足 |
百済王・豊璋?九州系(九州・百済・天智天皇・現天皇系) |
百済の大官・智積 |
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百済王・豊璋 |
百済の王子で人質として631年来日。白村江の戦いで百済に舞い戻るが、味方の将軍鬼室福信(きしつふくしん)を殺害し、百済滅亡を招く。このあと行方不明。 |
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藤原不比等 |
藤原鎌足の次男。<説あり>「天智の子」 |
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竹取物語 |
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729年、長屋親王45才(高市皇子の子・天武の孫)が藤原氏に殺害された-天皇であった? |
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<参考図書> |
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