最新 日本古代史-その1-

日本史,古代史,スサノウ,卑弥呼,神武天皇,天武天皇,持統天皇
2000年8月作製 2001年8月更新

@日本古代史2 @年表(〜8世紀)  @天皇一覧

  1. 生物のルーツ
  2. 人類のルーツ
  3. 日本人のルーツ
  4. 神社って不思議だな
  5. 日本古代史の大まとめ
  6. なぜ奈良か
  7. 2世紀〜3世紀
  8. 第1代天皇〜
  9. 古墳
  10. 第10代天皇〜
  11. 日本神話

@ 生物のルーツ

  1. 50億年前、太陽系ができた。
  2. 地球はマグマの海。冷えるにつれ、マグマから噴出した水蒸気が水になり、海ができた。
  3. 地球の外から、アミノ酸を含む岩の粒が降ってきて、海に落ちる。
  4. アミノ酸がタンパク質に結合し、生物へと進化していく。

@ 人類のルーツ

  1. 500万年前、アフリカの森の中に猿が住み、果物を食べていた。木にぶら下がり、背筋を伸ばすことを覚え、木を登る時に、足を主に使って登ることを覚え、手と足の役割が別々になり始めていく。
  2. アフリカに地殻変動が起き、山脈ができる。山脈の東側は、風下なので、雨が少なくなり、森は枯れ、草原へと変化する。木の上の猿は、しかたなく、草原に降り、草から上に顔を出し、背筋を伸ばし、2本足で歩き始める。
  3. 手が歩くことから解放され、細かい動作をするようになっていく。脳が進化する。
  4. アフリカからアジアへ、ヨーロッパへ歩き始める。
  5. 原人・旧人・新人と紆余曲折をへながら、
  6. 20万年前、アフリカで、天才が出現。現在の地球上のすべての人間の直接の祖先、ホモ・サピエンスが生まれる。
  7. どうして生まれたのか?突然変異か?宇宙人が知恵を授けたのか?
  8. 10万年前に、また、アフリカからアジアへ、ヨーロッパへ歩き始める。
  9. さらに、マンモスを求め、シベリアへと移住していく。

@ 日本人のルーツ

  1. 10万年前にアフリカからアジアへ、ヨーロッパへ歩き始めたホモ・サピエンスは、マンモスを求めシベリアへ向かう。
  2. 23000年前、シベリアのバイカル湖付近に定住し、ブリヤート人となる。シベリアは、氷河期ではあるが、短い夏があり、氷りが溶け、草原ができ、マンモス・ライオン・サイ・トナカイなどの大型動物がいたのだ。その大型動物を、みんなで協力して狩りをした。他の季節は、氷と雪に覆われ、トナカイの皮で作った、インディアンのテントのようなものに住んでいた。石をたたき割り整形し、まずくさび型にする。縁に棒をあてハンマーでたたくと、薄い石器ができる。細石刃(さいせきじん)と言う。長さ2〜3cm、幅5mm、厚さ1〜2mmという大きさだ。細石刃を角でできたやりの先の両側にたくさん取り付ける。
  3. 20000年前、最寒冷期になり、シベリアに短い夏がなくなり、大型動物がいなくなった。移動を始める。 日本へ、中国へ、北アメリカへ移る。この人たちが日本人のルーツだ。縄文人になっていく。
  4. 最寒冷期のあと、温暖化が始まり、針葉樹林帯だった日本は、広葉樹林帯へと変化し、大型動物が減り、鹿・たぬきなのど小動物が増える。食料が減る。12000年前、動物の毛を混ぜた土で薄手の土器を作り、どんぐりを煮て渋みを取ることを覚え、食料にした。*アムール川周辺で13000年前の厚手の土器が見つかっている。
  5. 一方、10万年前にアフリカからアジアへ、ヨーロッパへホモ・サピエンスが歩き始めた頃、インドネシアあたりでは、氷河期のため海面が下がり、スンダランドという小大陸があり、そこにも移住し、ワジャク人となった。竹の原産地であって、竹で作ったいかだで川を行き来した。
  6. 氷河期が終わり、海面があがり、スンダランドが小さくなって行く。しかたなく、丸ノミ石で木をくりぬき、丸木舟を作り、海へ出ていく。幅200km、深さ1kmの海の中の巨大な流れ、黒潮に乗って、沖縄にたどりつきという、港川人となる。18000年〜16000年である。ただ、沖縄は食料が豊富ではなかった。黒潮の流れの変化もあり、その後、さらに南九州へ流れつく。12000年頃であった。南九州は、シイなどの照葉樹林帯であり、木の実が豊富であった。そこに定住し集落を作った。9500年前、上野原遺跡である。木の実だけでなく、ヒエ・ハトムギ・アワなどの雑穀も食べていた。7500年前の壺型土器が見つかっている。血液型O。基本的な身の回りの単語を導入した。
  7. 南九州から四国・紀伊半島・関東に移っていく者もいた。6300年前頃、南九州では大規模な海底火山の噴火があり、廃墟となった。
  8. モンゴルやバイカル湖から、出雲や九州日向へ移住した。血液型B。主語+目的語+述語 という 文法を導入した。
    *モンゴリアンの特徴…偉い人の前で拍手をする。末っ子が、相続する。馬に乗る。鉄の採用が早かった。
  9. さらに、中国や朝鮮から移住する者が多数いた。血液型A。

@ 神社って不思議だなあ

そもそも、小学生の時に不思議だったこと
神社って、どこの町にもある。だれが作ったのだろう。だれが、お金をだしたのだろう。
結論
日本の神社のほとんどは、出雲のスサノウの子孫・家来が、日本全国に、進出して行くときに、作ったものである。8世紀までに建てられた神社は、3000〜5000。そのうち、出雲系スサノウ一族の神社が8割、九州ヒミコ一族の神社が2割、その他少々。

@ 日本古代史の大まとめ

日本古代史は次の2つの勢力の争いだ!

勢力

九州系(現天皇系)

環日本海系

地盤

百済(南朝鮮の西側)
九州、邪馬台国*九州説

新羅(南朝鮮の東側)、加耶(南朝鮮の真ん中)
出雲、越

進出地

神武天皇が奈良へ

奈良、尾張、吉備

人物

卑弥呼
神武天皇や天智天皇などほとんどの天皇
藤原鎌足(百済王・豊璋)、藤原氏

蘇我氏、葛木氏、阿部氏、物部氏、秦氏
、欽明天皇、聖徳太子、天武天皇

*継体天皇?
*[説あり]-「蘇我氏は百済出身」
*日本書紀は、環日本海系の天武天皇が作らせたのだが、実際完成したのは、天武天皇死去30年以上たってから。実は、九州系の藤原氏に都合がいいように書き直してあるのだ。
*新羅 王族も住民も韓人である。朴(パク)・昔(ソク)・金の三氏族が辰国の解体以降並立していたが、それを王統譜22代の金氏・智證王が六世紀初め(503年か)統一し、国号を新羅とした。

  1. 吉備から奈良に移住する者があった。唐子・鍵遺跡。
  2. ナガスネヒコの祖先が奈良を支配。葛城一族?蜘蛛族?
    2世紀、出雲はスサノウ一族、九州は卑弥呼一族が支配。吉備?関東?東北?北海道?
  3. 東海・関東・東北・北海道は縄文時代からの人々が暮らしていた。後にアイヌと呼ばれた。
    奈良にも縄文時代からの人々はいた。
  4. 3世紀、出雲からニギハヤヒが奈良へ。モンゴリアンの風習を導入。
    出雲系は、日本全国に進出し、神社を作っていった。
  5. ニギハヤヒの死去後、九州日向から神武天皇を迎え、九州日向系(天皇系)が天皇、出雲系が皇后として統治する。古墳を作り始めた。まず、環日本海系が奈良・瀬戸内海・東海地方に進出した。
    *このあたりのことや出雲のことは日本書紀は神話の世界に押し込めた。
  6. だんだん九州系(現天皇系)が力をつけ、特に、4世紀から5世紀、10代崇神天皇から25代武烈天皇までは勢力が強くなった。当然、百済と親交が深い。*日本書紀は百済よりの発言が目立つ。
  7. 中国や朝鮮からの移民が頻繁にあった。血液型A。新しい単語を導入した。天皇やその側近までも、純粋の日本人でないことが多かったらしい。聖徳太子・天智天皇・天武天皇・藤原鎌足なども外人であったという説もある。
  8. 途中、環日本海系の越の継体が政権を奪い、第26代天皇になった。ただ、越前から大阪に入るまで20年かかっている。
  9. 継体天皇系の欽明天皇、蘇我氏、聖徳太子などの環日本海系が日本を支配する。外交は、百済一辺倒ではなく、新羅・高句麗や中国とも交流をはかる。
    *聖徳太子は蘇我氏の人間であるが、日本書紀は大化改新の必然性を作るために、蘇我氏を悪者にしたてあげ、太子と蘇我氏の仲が悪いように書いた。
  10. 中国・朝鮮では、唐や新羅が強大になり、百済が滅亡寸前。
  11. ここで、九州系は大ばくち。藤原氏(百済出身)が中心になり、蘇我氏を殺害し、政権を奪回し、大化改新を行った。天智天皇が即位。当然、百済を救済しにいくが失敗(白村江の戦い)。
  12. 環日本海系の新羅系の天武天皇が壬申の乱に勝ち、政権を奪回。藤原氏は登用されない。宮は蘇我氏の地元の飛鳥に置く。
    *日本書紀は、天武天皇の事をたくさん書いたが、いつ生まれたかとか、若い時どうしていたかなどは無視。
  13. このあと、天武天皇系の天皇が続くが、天武天皇の妻・持統天皇は天智天皇の娘であり、藤原鎌足の子供の不比等と結び、徐々に九州系の勢力を強めていく。
  14. 日本書紀を天武天皇のために書いたと見せかけながら、実は九州勢に都合がよいように書いた。
    葛城族・出雲族・吉備族・物部氏・アイヌを歴史から抹殺した。
  15. そしてついに、およそ100年後の、770年に天智天皇の孫第49代光仁天皇、さらにその子桓武天皇を擁立し、京都に遷都し、九州系の天皇と藤原氏が日本を支配していく。

@ なぜ奈良か

  1. 盆地で、稲が作りやすい。多くの人数を維持できる。
  2. 川が多く、水運に恵まれ、瀬戸内海から直通で入れた。古代は、陸運より水運。
  3. 朱(しゅ)すなわち水銀が取れ、これを輸出品とした。
  4. 朝鮮や中国から、出雲や九州よりは離れているので、日本の独自性を確立しやすかった。

@ 2世紀〜3世紀

後漢書>「倭国大乱」180年頃。

素戔鳴尊 素佐男 素盞鳴命 すさのおのみこと
日本書紀>「スサノオはアマテラスの弟。出雲へ追放された。ヤマタノオロチを退治し三種の神器の草薙の剣をアマテラスに献上した。」-日本書紀制作者側のウソ
日本書紀>「スサノウは出雲に入る前、最初新羅に行って木の種をもらった」

『富士宮下文書』>「祖佐之男命、朝鮮新羅国王の四男・太加王」

  1. 122年頃、出雲で生まれる。蒙古名フツシ。
  2. 142年頃、斐伊川上流の鉄を使うオロチ族を滅ぼし稲田姫と結婚し、出雲を治める。オロチを切った刀-「布都御魂の剣」は石上神社(いそのかみ)に現存。
  3. 173年頃、第5子オオトシと共に九州に進行した。スサノウ50才頃、オオトシ20才頃。
  4. 177年頃、九州を平定し、卑弥呼(23才頃)と結婚した。
    3女をもうける-タギリヒメ=このはなやさくやひめ・タギツヒメ・サヨリヒメ=市杵島姫=厳島姫。
    このときの、スサノウとヒミコとサヨリヒメの3人と稲田姫の絵が出雲の八重垣神社(やえがき)にある。
  5. 182年頃、さらに、オオトシを奈良に進行させた。
  6. 185年頃、死去、享年63才頃。
  7. 九州は、スサノウの三女・末子スセリヒメの夫オオクニヌシに治めさせた。

父-フツ 妻-クシイナダヒメ
長男-ヤシマヌ 次男-イタケル 長女-オオツヒメ 次女-ツマツヒメ 三男-ニギハヤヒ
四男-クライヌタマ 五男-イワサカヒコ 三女-スセリヒメ

スサノウ一族を祭る神社-スサノウ神社・熊野神社・氷川神社・八坂神社・祇園社・牛頭宮
天津神、八千矛大神。

出雲大社 <出雲大社>
主神…オオクニヌシ
素鵞社…出雲大社本殿の真後ろにくっつくように立っている摂末社。祭神はスサノウ。
出雲大社にお参りすると、オオクニヌシを拝んでいるように見えて、実はスサノウを拝んでいるわけ。

朝鮮へ
スサノウの次男イタケルは朝鮮へ行き、木の実を持って帰った。それを、長女オオツヒメと次女ツマツヒメが日本中に配って歩いた。

オオトシ=ニギハヤヒ =オオモノヌシ
スサノウの第5子。蒙古名フル。
本名
天照国照彦天火明奇甕玉饒日命
あまてるくに・てるひこ・あめのほあかり・くしみかたま・にぎはやひの・みこと

父=スサノウ 母=稲田姫 妻=三炊屋姫(みかしぎひめ)
長男=ウマシマチ 次男=タカクラジ=アメノカヤマ 末娘=ミトシ=イスケヨリヒメ

  1. 父から10種神宝を授かり、天の磐船に乗り、下関回りで、大阪まで行った。
  2. 182年頃、奈良の王ナガスネヒコの妹・三炊屋姫と結婚することになり、奈良に入り、。オオトシからニギハヤヒに改名。三輪山の麓に住む。
  3. 220年頃、死去、三輪山に祭られる。九州は卑弥呼が女王の頃。出雲は相続争いが起きていた。
  4. 末子のイスケヨリヒメが10才前なので、長男のウマシマチが政治をとった。

オオトシを祭る神社:大歳神社・天照神社・三輪神社・熊野神社・賀茂神社・日吉神社・金比羅神社

10種神宝
鏡2つ+剣+玉4つ+比礼(ひれ)3つ 比礼って何だろう?
10代天皇崇神天皇まで、皇位継承のしるしとした。石上神社(いそのかみ)に現存、国宝。

ナガスネヒコ
出雲のニギハヤヒが大和に来る前の、大和の王。葛城一族?葛城は縄文時代の人々orモンゴリアン?

卑弥呼 ひみこ
153年頃、宮崎で生まれる。父…イザナギ、母…イザナミ
魏志倭人伝>「239年、卑弥呼が皇帝に使いを出した。240年、中国から卑弥呼へ使者。243年、卑弥呼から中国へ使者。247年、中国から邪馬台国へ使者、卑弥呼が死んでいた。」 247年・248年に北九州で日食。
ニニギノミコトは子、神武天皇は孫。
書記・古事記以後、天照大神と呼ばれる。そもそも天照とはニギハヤヒの本名だった。
墓は、宮崎・西都原(さいとばる)、全長219mの前方後円墳。魏志倭人伝には円墳であると書いてある。

邪馬台国
宮崎県西都市(さいと)。九州の都。王として

  1. スサノウ…177年頃〜…約10年…卑弥呼の夫として
  2. 大国主…約30年…卑弥呼の長女の夫…24才頃〜 …215年頃九州で死去
  3. 大国主の末子コトシロヌシは幼かったので、コトシロヌシのおばあさんの卑弥呼が王となった。
    卑弥呼…約30年…60才頃〜90才頃
  4. 豊受女王(とようけ)…約50年…神武天皇の九州時代の娘

オオクニヌシ
本名…大己貴尊(おおあなむちのみこと)
160年頃、出雲で生まれる、父母不明。スサノウは122年頃、卑弥呼は153年頃の生まれでした。
180年頃、スサノウの末子のスセリヒメの婿となる。子にタケミナカタ。スサノウの死後、後継者となる。
九州にも来て、卑弥呼の長女のタギリヒメと結婚した。子にコトシロヌシ。
出雲と九州の両方の王となる。
215年頃、九州西都市、すなわち邪馬台国で死去。医学・薬学・獣医学の神として祭られる。

高日子根(たかひこね)=武角身(たけつのみ)
オオクニヌシとヒミコの長女のタギリヒメの長男。コトシロヌシの兄。高鴨神社(たかかも)や八咫烏神社(やたがらす)に祭られている。布都御魂の剣を持って、大和に行き、ウマシマチと交渉し、出雲系と日向系の合体を画策した。いとこの神武天皇の大和入りを助けた。神武天皇即位の後、大阪の大和川河口に住み、天皇を支えた。

布都御魂の剣(ふつのみたま)
ヤマタノオロチ -> スサノウ  -> コトシロヌシ -> 九州で死んだので九州にあった -> 高日子根が持って大和へ -> 神武天皇 -> 石上神宮

コトシロヌシ
210年頃、九州邪馬台国で生まれた。オオクニヌシの末子。
出雲と九州の王オオクニヌシが死去後、九州での子供のコトシロヌシと、出雲での子供のタケミナカタが、相続争いをした。卑弥呼はニニギノミコトにまず南九州を平定させた。-魏志倭人伝>「倭国乱れ」
220年頃、大和のニギハヤヒが死去、コトシロヌシとその母タギリヒメが出雲に乗り込み、タケミナカタを追い出した。-「書記の国譲り」
出雲は、家来の猿田彦に治めさせた。10月に出雲の部族長を集めて会議を行った。それが、「神無月」・「神有月」となった。

武御名方尊 タケミナカタ
九州の異母兄弟のコトシロヌシに出雲から追われ、諏訪湖まで逃げる。13人の子供を作り、そこで栄えた。

宗像三神 むなかた
ヒミコの3人の娘、タギリヒメ・タギツヒメ・サヨリヒメ。

邇邇芸の命 ににぎのみこと
卑弥呼の子。
215年、出雲と九州の王オオクニヌシが死んだ時、南九州の隼人族を平定した。
書記>「南九州へ降臨」

吉備 きび
兵庫県。桃太郎の鬼ヶ島の鬼退治のモデル。

@ 第1代天皇〜9代 3世紀後半〜4世紀前半

神武天皇
イワレヒコ。216年頃、九州宮崎で生まれた。卑弥呼の末子の 熊野楠日尊(くまのくすひのみこと)の末子。九州日向邪馬台国の正当な相続者。第1代天皇になった。<別説>日向出身
高句麗の東川王?247年来日。

  1. 大和のニギハヤヒは亡くなり、末子に代わり、長男のウマシマチが政治をとっていた。
    末子イスケヨリヒメは女子なので、婿を迎えることになった。
  2. 230年頃、高日子根が日向から大和へ。ウマシマチと交渉し、出雲系と日向系の合体を画策した。
  3. 237年、21才頃、イワレヒコは、大和に向け、宮崎を出航。何年もかかって大和まで来た。
    この頃、卑弥呼は九州日向にて健在90才ぐらい。
  4. 九州東海岸を北上し、瀬戸内海を通り、兵庫、大阪へ。
    このあたりは、細かい記録がその地域の神社に残っている。
  5. そもそも奈良の王であったナガスネヒコは、妹の夫になった、出雲からのニギハヤヒに政権を譲った。ニギハヤヒが死に、今度は九州日向からイワレヒコを呼び、政権を継がせるというのに、我慢がならなかったらしい。
  6. イワレヒコ一行は、大和の生駒でナガスネヒコに破れ、実の兄五瀬尊(いつせのみこと)を亡くした。 しかたがないので、紀伊半島を回り、南側の山から大和に向かった。
    生駒と三輪とはすぐ目と鼻の先。
  7. ウマシマチノの弟=イスケヨリヒメの兄=天香山が、布都御魂の剣を持って、熊野まで迎えに行った。
  8. イワレヒコのいとこの高日子根(たかひこね)が、現在の熊野本宮の所まで迎えに行った。
  9. ナガスネヒコは暗殺された。だれに?ウマシマチしかいないなあ。
  10. 241年、ニギハヤヒの末娘 と、奈良県桜井市三輪で、結婚。
    10種神宝を授かり、即位。三輪に住居を構えた。九州勢力と元大和政権が合体した。
  11. 旧暦11月1日(11月22日)、ニギハヤヒの鎮魂祭をした。
     現在でも、11月22日に、石上神宮や皇居でも鎮魂祭を行うそうだ。
  12. 日向系は、九州から奈良に移住する者が増え、奈良での勢力を伸ばし始めた。
  13. 出雲系は、だんだん力を失った。ニギハヤヒの長男ウマシマチは、山陰石見(いわみ)へ追い出され、そこで亡くなり、物部神社に祭られた。子孫は物部氏になった。
    次男天香山(あめのかやま)は新潟へ追い出され、そこで亡くなり、弥彦神社に祭られた。
  14. 出雲も、九州からのコトシロヌシがタケミナカタを追い出し、日向系が勢力を増していた。
  15. 後の書記や古事記での、出雲系抹殺の布石が整った。当然、出雲系の前に奈良にいた葛城族や、出雲系の子孫の物部氏までも抹殺することになった。
  16. 神武天皇の勢力は、武蔵(むさし)・常陸(ひたち)・越後(えちご)まで延ばした。いよいよ、アイヌは東北・北海道へと追いつめれていく。

葛城王朝 かつらぎ
1代神武天皇〜9代開化天皇。241年頃〜4世紀中頃。初期奈良政権。
天皇は日向系から、皇后は出雲系から、総理大臣はウマシマチの孫の磯城県主(しきあがたぬし)か物部氏から、という体制ができた。
第7代天皇の皇后まで、その通りであった。8代・9代の皇后は、穂積家だった。
総理大臣は、587年、蘇我氏との戦争に敗れるまで、350年ほど、物部氏が握っていた。

三輪王朝 みわ
奈良纒向遺跡(〜第9代開化天皇)

纒向遺跡  まきむくいせき
奈良県桜井市。土器の半分は東海地方産で、残りが出雲・吉備・北陸で、北部九州の土器はごくわずか。すなわち、環日本海系の一族がこの都市を作ったことがわかる。

孝元天皇
8代。雀部(ささべ)と穂積(ほづみ)がクーデターを起こし、擁立した。そのクーデターを隠すため、書記を改竄した。

@ 古墳

古墳時代
3世紀中頃から始まる可能性が出てきた。

前方後円墳
4つの地域の文化を統合した物。
1. 九州-青銅器を中心とする副葬品
2. 吉備-大型の特殊器台形土器、特殊壺形土器
3. 出雲-四隅突出形古墳の貼り石
4. 大和-古墳の回りの堀
4世紀の前方後円墳…竪穴式石室。三角縁神獣鏡。
5世以降の前方後円墳…横穴式石室。

古墳の誤解

  1. 「土を運び、ばらっとまき、小山を作った。」 No!
    種類の違う土を層にして、突き固めて作った。もちろん、設計図があった。
  2. 「奴隷が作った。」 No!
    奴隷というよりは、出稼ぎ。労力と引き替えに、中国の製品や、日本各地の製品を得る。
  3. 「時間と労力があればできる。」 No!
    設計図を作り、森を切り開き、平らにし、たくさんの人数を計画的に動かし、寝泊まりさせ、息抜きをさせ、突然の風水害を防ぎ、遠くから葺石を運び、石材を運び、埴輪を作らせ、…
    相当優秀な頭脳を結集し、綿密な計画を練り、作り上げた。
  4. 「古墳 = 森。」 No!
    始めは、木が植わっていないし、草もはえていないので、葺石が、日光を反射し、ピカピカ光り、かなり人工的な臭いのする建造物。回りは、緑濃き自然林なのだから、突然現れる古墳には、びっくりしたはず。
  • 設計者は、始めの人工的な古墳、しばらくたったあとの森のような古墳、の2つの古墳の姿をイメージして作ったはず。葺石だらけの古墳も感動的だし、森のような古墳もとても美しいし、両方の視覚的効果をねらって設計したはずだと思う。
  • 古墳に登るとわかるのだが、古墳同士は、離れていても互いによく見え、とてもいい眺め。できたあと、みんなで登って宴会をやったり、合図をしあったりしたはず。たとえ、偉い人のお墓であっても。

@ 第10代天皇 4世紀中頃以降

崇神天皇 すじん
第10代天皇。4世紀中頃。ハツクニシラススメラミコト ミマキイリヒコ。纒向遺跡が最も栄えた頃。

石上神社 いそのかみ
第10代崇神天皇の時代に創祀。
十種神宝…スサノウがニギハヤヒを大和に送り込む時に授けた 物。
布都御魂剣ふつのみたまのつるぎ…スサノウがヤマタノオロチを退治したときの剣。

大神神社 おおみわ
祭神…大物主命オオモノヌシ。第10代崇神天皇の時代に創祀。ニギハヤヒの子孫の大田田根子を見つけて、初代宮司にした。今でも宮司さんは、大田さんなのだろうか。
倭迹迹日百襲姫
やまとととひももそひめ 大物主命の奥さん 奈良の箸墓古墳

伊勢神宮 いせじんぐう
三重県伊勢市 主神…アマテラスオオミカミ(天照大神)
ご神体…三種の神器のひとつ八咫(やた)鏡
(天照大神=卑弥呼が天孫降臨の時にニニギノ尊に授けた鏡)
「日本書紀」によれば、
第10代の崇神天皇のとき、宮殿にまつっていた神体を皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して 大和の笠縫邑(かさぬいむら)にうつし、第11代垂仁(すいにん)天皇のとき、皇女の倭姫(やまとひめ)命が各地をめぐったうえで、 伊勢国を鎮座の場所としたのが始まりという。20年に1度の建て替えをする 遷宮は持統朝(686〜697)から約1300年つづき、 1993年(平成5)10月で61回をかぞえた。

景行天皇
第12代天皇 4世紀後半

日本武尊 やまとたけるのみこと
景行天皇の皇子

橘樹神社 たちばなじんじゃ
日本書紀によると
「日本武尊が東京湾を渡ろうとしたら暴風にあった。奥さんの弟橘比売命おとたちばなひめのみことが海に飛び込み海を静めた。7日後彼女の櫛が海辺に流れ着き、墓を作っておさめた。」そのときの神社が、神奈川県川崎市高津区子母口の橘樹神社である。近くの富士見台古墳は、彼女の墓とする説もある。私の勤める中学校の学区にある。家庭訪問で、神社の近くの沼田さんのおばあちゃんからお話をうかがった。

好太王碑 こうたいおうひ
「391年に倭が海を渡り攻めてきた」

武内宿禰 たけしうちのすくね
第8代孝元天皇の孫か曾孫。14代仲哀天皇の妻の神功皇后の秘密の愛人。応神天皇の秘密の父親。
子供が、葛城の襲津彦そつひこと、蘇我の石河の宿禰そがのいしかわのすくね

応神天皇
15代。ここまでは、末子相続。16代から長子相続になった。2人の博士、阿直岐(あじき)と王仁(わに)が来日、論語を伝える。

仁徳天皇
16代 。応神天皇の長男。朝鮮から「七枝刀(ななさやのたち)」をもらった。石上神宮に現存する。399年死去。

@ 5世紀以降 => 古代史2

 

日本神話 「Microsoft Encarta97」より抜粋

アマテラスオオミカミの誕生
黄泉国(よみのくに)から生還をはたしたイザナキが、身をきよめるための禊をすると、すてた杖(つえ)や衣服から次々と神々が生まれた。最後に左目をあらうと、高天原をおさめるアマテラスオオミカミ、右目をあらうと夜の国をおさめるツクヨミノミコト、> 鼻をあらうと海原をおさめるスサノオノミコトが生まれた。

高天原の物語
スサノオノミコトは、ひげが長くのびる年ごろになっても、海原をおさめる務めもはたさず、母のいる黄泉国にいきたいと泣いてばかりいた。いとまごいのために、天上の高天原の姉アマテラスオオミカミをたずねたが、そのときの荒々しい騒ぎに、姉は弟が国をうばいにきたのかと男の姿で武装してのぞむ。弟は邪心のない証明に、あらかじめ神にちかったとおりの結果があらわれるかどうかをうらなう誓約をして、それぞれの子を生むことを提案した。姉は弟の剣を3つに折って口にいれ、3人の女神を生んだ。弟は姉の珠(たま)をとって口にいれ、5人の男神を生んだ。

天岩屋戸
こうして潔白をみとめられた弟だったが、調子にのって高天原で狼藉(ろうぜき)をはたらきだした。それまではかばっていた姉だったが、弟が皮をはぎとった馬の死骸をおとしておどろいた機織り女を死にいたらしめるにおよんで、おこって天上の岩窟(がんくつ)、天の岩屋にとじこもってしまう。すると天上も下界も真っ暗になり、悪神が横行し、災いが生じはじめた。八百万(やおよろず)の神々は相談し、天の岩屋戸の前でお祭り騒ぎをはじめた。企ては成功し、アマテラスオオミカミはおびきだされ、天地にふたたび光明がおとずれた。

出雲国の物語
スサノオノミコトは、ひげを切られ、手足の爪(つめ)をぬかれて、高天原を追放される。出雲国(現、島根県)の肥河(ひのかわ)の上流の鳥髪(とりかみ)におり、ヤマタノオロチを殺し、その犠牲となるはずだったクシナダヒメと結婚する。

オオクニヌシノカミ
スサノオノミコトの6代目の子孫オオクニヌシノカミは、ヤガミヒメに求婚する兄のヤソガミにつれられて因幡(いなば)国(現、鳥取県)にやってきた。そこで兄たちにいじめられたイナバノシロウサギをすくう。ウサギは、ヤガミヒメとオオクニヌシの結婚を予言し、的中する。しかし、嫉妬した兄たちの悪巧みによってオオクニヌシは殺されそうになり、スサノオノミコトのいる地底にある根の堅洲国(かたすくに)ににげる。オオクニヌシはそこでスセリビメノミコトとであい、スサノオノミコトが課した難題を解決して、二人はむすばれる。オオクニヌシは、スサノオノミコトからさずかった太刀(たち)と弓をもって出雲にもどり、わるい兄弟たちをおいはらい、スクナビコナノミコトやオオモノヌシノカミらの力をえて、国をさかえさせていく。

国譲り
高天原のアマテラスオオミカミは、下界は自分の子供のアメノオシホミミノミコトがおさめるべきだとして、アメノホヒノミコトやアメワカヒコを使いにたてるが、2人ともオオクニヌシノカミのおさめる出雲国の居心地のよさに安住してしまう。そこで雷と剣の神タケミカヅチノカミと船の神アメノトリフネノカミの2人が派遣された。タケミカヅチノカミは、波の上に逆さにたてた剣にあぐらをかいて、オオクニヌシに国をゆずるように申しいれた。それにはオオクニヌシの2人の息子がこたえた。2人の息子のうち、ヤエコトシロヌシノカミは承諾したが、タケミナカタノカミは反対しタケミカヅチノカミに力比べをいどむ。しかし結局、タケミナカタノカミの完敗によって、オオクニヌシの一族は地上の国をゆずった。

天孫降臨
その間に高天原ではアメノオシホミミノミコトに子供が生まれた。このニニギノミコトが下界をおさめるために、サルタヒコノオオカミの先導によって高天原から筑紫(古代九州の総称)の高千穂の峰に天くだった。このとき、アマテラスオオミカミはニニギに三種の神器をわたした。天くだったのち、ニニギは、笠沙の御崎(かささのみさき:現、鹿児島県野間半島)でであったうつくしいコノハナノサクヤビメと結婚し、ホデリノミコトとホオリノミコト、つまり海で魚をとるのにたけた海幸彦と山の狩りにたけた山幸彦が生まれた。

神武天皇
しかし、夫や子供へのこいしい気持ちから、トヨタマヒメは妹のタマヨリビメを地上につかわす。やがてウガヤフキアエズノミコトとタマヨリビメは結婚する。二人から4人の子供が生まれ、末の弟ワカミケヌノミコトは、のちに神武天皇になった。