飛鳥 亀形石造物

*奈良・飛鳥・亀形石造物*
日本最古の流水・石造施設遺構。斉明天皇(在位655-661)の離宮の両槻宮(ふたつきのみや)の一部らしい。斉明天皇は天智天皇・天武天皇のおかあさん。(2000/2/23 朝日新聞)

歴史

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質問・感想

<交通>橿原神宮から東へ徒歩40分、バスもあるらしい。見学料なし。ただし埋め戻してしまう?

2000年2月

2000/2/27の説明会に参加した。午前10時頃で、整理券番号が11173だった。

右の写真の左の丘の反対側の斜面に酒船石、写真奥にセメント工場、飛鳥寺、写真右に富本銭の見つかった飛鳥池がある。

深く掘られた谷にある。回りの視界は悪いので、水の流れをゆっくり楽しむ場所ではなく、閉鎖性のある祭りの場所であろうとのこと。

階段状石垣。

石敷き。茶色く見えるのが、天理市から取ってきた砂岩。

花崗岩製。手前の亀形が全長2.4m、後ろの小判形が長さ1.65m。

1000年以上の前の遺跡が、ついこの間まで使われていたように残っているのが、とても不思議・魅力。

2000年6月

亀形石造物の奥にさらに、井戸の跡が見つかった。写真は2000年6月25日。

茶色の砂岩のレンガを、1辺2mほどの長方形の周りに積み上げた中に、同じレンガで塔を作ったもの。シートがかぶせてあったので、わかりにくい。

塔から水があふれ、亀形石造物へと、順繰りに水が流れていく。

小判形石造物の周りから、平安時代の土器や銅銭が出土した。9世紀後半に改修されたが、10世紀から埋没したらしい。

2000年10月

またまた新しい物が見つかったか?

<2000年10月読売新聞>
七世紀中ごろの斉明天皇の時代に造営された後、九世紀後半までに四度の大きな改修を重ねていた。 石敷き遺構の重なりなどにより、造営時は湧水施設が今の半分の高さしかなく、石敷きはこぶし大の石で行っていた。
天武朝に移る前後の七世紀後半に大改修を行い、階段状の石垣などを追加。湧水施設を高くし、亀形と小判形の二つの石造物も五十センチ以上高く据え直したらしい。
さらに藤原京期(七世紀後半―同末)と平安時代に計三回改修。湧水施設は埋まり、十世紀初め以降、全体が埋没した。
南北溝はさらに北に延び、水は富本銭を鋳造した官営総合工房・飛鳥池遺跡を経て「狂心(たぶれごころ)の渠(みぞ)」とみられる運河に注ぐ可能性が高まった。

2001年8月

資料館の駐車場を作るために、埋め戻されていた。なんてばかな事をするのだろう。後世に語り継がれる、愚挙だね。